2003/03/23(日)晴れ
●東大阪市立郷土博物館と山畑古墳群●
「瓢箪山稲荷神社」のある小丘も『瓢箪山古墳』と呼ばれる双円墳です。
神社を抜けて急な坂道の住宅街を登っていくと、市街地を見下ろせる
高台に『東大阪市立郷土博物館』があります。
山頂一帯に「山畑古墳群」と呼ばれる古墳群が発見されたので
ここに郷土博物館が建てられたそうです。
そうでなければ「こんなところに博物館?」と思ってしまうような立地です。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 太古の時代、現在の河内平野は「河内湾」という海でしたが、縄文時代の終わり頃には旧大和川や生駒山の西側を流れ下る川の運ぶ土砂がどんどんたまりつづけ、「河内潟」と呼ばれる干潟ができあがりました。 弥生時代の人々は、こうした干潟のまわりや旧大和川沿いの稲作に適した湿地の近くで暮らしていました。 くらしが変わっていくなかで、水や収穫物・鉄製品などをめぐるムラどうしの争いが生まれ、各地に小さなクニができ始めました。 今から1700年前から1400年前、各地の豪族や大王は、その力を示すために大きな古墳を作りました。 この時代を古墳時代と呼んでいます。 市内にある西岩田遺跡・日下遺跡・西ノ辻遺跡・馬場川遺跡からはムラ跡がみつかっているとともに山腹には約230基の古墳があります。 | |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 生駒山の西側には、山を流れ下る川によって形成された多くの谷筋がある。 谷に挟まれた尾根の南側斜面には、1400〜1500年前(6世紀から7世紀)の有力者達を 葬った小さな古墳が数多く築かれている。 横穴式石室を主体とした、東大阪市内最大の群集古墳です。 山畑古墳群は、客坊谷の南側、高さ15mの瓢箪山神社付近から高さ140m前後の位置にあり、 円墳をはじめ、方墳や双円墳・上円下方墳などさまざまな形の70基ほどの古墳からなる群集墳です。 古代においてこの地一帯に住んでいた豪族の墓地であったと考えられます。 「郷土博物館」の敷地内には山畑22号墳があり、直径15m・高さ4.5mの円墳で、 南側に石室の入口があり中へ入ることもできます。 | |
![]() |
| |||||||||||||||||||||||||||||||