瓢箪山駅周辺ガイド(近鉄奈良線)
駅の南北にアーケードや駐輪場などが完備された綺麗な
2つの商店街をもち長崎屋・ジャスコ・サカエ・万代などの
大小のスーパーもあり、活気のある駅前です。
駅前商店街のある通り(旧170号線:商店街の部分は自動車の通行は不可)は
東高野街道として昔から多くの旅人が行き来した歴史のある道です。
周辺には多数の古墳群もあり、歴史ロマンに溢れた史跡の多い街です。
参考WEB:SMILE 瓢箪山
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| 瓢箪山駅舎と駅前商店街の風景です。 | |
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| 駅前の南側商店街を少し行くと東側に鳥居があり、その向こうに赤い鳥居の 『瓢箪山稲荷神社』があります。 【祭神】 保食狼、素盞嗚尊 日本三稲荷の一、辻占総本社。 天正11年(1583)豊臣秀吉が大阪城築城 にあたり巽の方三里の地に 鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したとあります。 『大阪府全志』によれば、「以前は小なる叢祠にて、祠と街道との中間南側に 一茅屋ありて、老翁の辻占を判じたるに過さりしが、維新の後大阪の一商人 この辻占によりて営業上大いに利し祠を今の如く改築せしにより少しく大きくなる」 と記されている。 ●辻占 1.神前に願い事をよく祈る。 2.おみくじをひく。番号がある。 3.東参道入り口の占場で気を鎮めて占場石を中心に正面を向く。 通行人の姿、年齢、持ち物、言葉、葉来物、連れの有無等を詳しく観察する。 おみくじの番号1番 最初の人(連れ) おみくじの番号2番 二人目の人(連れ) おみくじの番号3番 三人目の人(連れ) 左右どちらから来てもいい。 4.社務所に戻りことの次第を申し出る。 | |
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| 瓢箪山稲荷神社の裏側からの写真です。 『瓢箪山』地名のいわれ: 瓢箪山稲荷神社のある小丘は、瓢箪山古墳と呼ばれる双円墳です。 生駒山の麓に点在する「山畑古墳群」の中でも最大かつ最古とされる、 南北50メートルで1500年前の双円墳がちょうど瓢箪の形に見えるところ から「瓢箪山」の名が付いたそうです。 |
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●東高野街道 昔、高野山(真言宗、金剛峰寺)への参詣には、かって高野七道と呼ばれた参詣街道があった。 高野街道、京街道、大和街道、龍神街道、大峰街道、熊野街道、熊野大滝街道の七道である。 なかでも、都から高野街道が最も近くて、便利なコースだった。その高野街道は、京からスタートする東高野街道。 京から大阪天神橋まで淀川を船で下り、大阪高麗橋を起点とする西高野街道。 さらに、その中間の街道として守口文禄堤に発する中高野街道があり、それぞれ河内長野で合流して、紀見峠を越えて高野山へ向かった。 道程は、京〜高野山へ片道、約120km(30里)、一日40km(10里)を歩くと3日間の行程だった。 |
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| 駅前商店街の通りを南に1qほど行くと六万寺東の交差点があります。 左折して住宅街の細い道を山手の方に登ると東大阪市内を 見下ろせる高台に『往生院』があります。 ●往生院六万寺ホームページ 後村上天皇正平3年(1348年)に至り建武の中興も空しく、南北朝抗争の時、 楠木正成の息子、正行は父の意思を継ぎ、北朝側と戦う。 最後の、四条畷合戦に際し、その本陣がここ往生院であった 兄弟共々討ち死にせられ、 大日本史によれば、その遺骸をここに葬ると記されている。 現在往生院西南の境内にあり、左五輪正行、右の石碑は供養等である。 正行戦没後は、往生院伽藍はは兵火に焼けその後、後光明天皇が、 承応3年、鷹司信房名刹の荒廃を嘆き再興して、時の幕府も朱印117石を 寄進して明治に至る。 | |
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